3月に入っていくぶん寒さは和らいだが、日が落ちたこの時間はまだまだ肌寒い。バイクのハンドルを持つ袖口から入ってくる冷たい空気に、三城皇(みしろこう)はひとつ体を震わせる。アクセルを緩やかに戻して、車の多い大通りからひとつ角を曲がれば、古い一軒屋の立ち並ぶ住宅街へと続く道だ。さすがにこの辺りは車も人も少ない。
地下鉄の駅も遠く、バスに乗るか皇のようにバイクがないと不便な地域で、引っ越して来た当初はずいぶん後悔したが、それも今では慣れてしまった。
何より、市内の他の地域に比べて家賃が安めなのがいい。多少の不便さはガマンする。

自分の住む築不詳のアパートへと続くだらだらの坂を、エンジンの回転音も怪しいバイクで登りながら、皇はさっきバイト先の上司に言われた言葉を、もう一度思い出す。
引越し業界が忙しいのは3月いっぱい。4月からは来なくていい、と。

…なんやねん。
つまり、今行っている引越しのバイトは今月でクビだ。ようやく仕事にも職場にも慣れたというのに、一方的にクビを切られて胸くそ悪い。
おまけに、それを伝えた時の上司の顔、30にもなってなおフリーターとして働いている自分を小バカにしたような目を思い出して、またむかついてくる。

長身でガッシリとした体格の皇だが、目元の涼しい端正な顔立ちをしているため、実年齢より若く見られがちだ。それが嫌で、今のバイト先ではヒゲを生やし髪を伸ばして、自分より若い社員になめられないようにしていたが、それも無駄な努力に終わったようだ。

勤めていた会社をリストラされて3年。それ以降、就職口が見つからなくて、バイトで食いつないできたが、それも長続きする事はない。
景気が悪いから、今は人が余っているから、忙しくないから。さまざまな理由でバイトをクビになった。
…結局、俺は必要ない人間ちゅうコトか。
そう考えると、悔しくて哀しくて、ため息が出る。

今のバイトで知った得意先に頭を下げれば、あるいは配送の下請けか何か、仕事を紹介してくれるかもしれない。だが、それは皇のプライドが許さない。
どこかで働かなければ生活していけないのは分かっているが、その働き口を得るのに人に頭を下げるのは、どうにもガマンならないのだ。
自分でも厄介な性格だと思う。だが、性分だから仕方がない。

…次のバイト、どないしよ。
悩みながらバイクを走らせていたので、いつも夕食の弁当を買うコンビニの前を通り過ぎてしまう。
今さらコンビニまで戻るのも面倒だ。だが腹は減っている。
皇はバイクのスピードを少し落として、どうしようか考える。

と、道の向こうに弁当のノボリが立っているのを見つける。近くまで行けば、”ひなた弁当”と古い看板のかかった年代物の弁当屋がある。
…へえ。こんなトコに弁当屋があったんや。
この辺りは皇のアパートから近いが、いつも使う道ではなかったので、弁当屋があるのを知らなかった。
店先に明かりが点いているので、まだ営業中だろう。

皇は店の前にバイクを停めると、エンジンを切ってヘルメットを前のカゴに入れる。ポケットの小銭を確かめて中に入れば、注文を受けるカウンターに人はいない。だが、奥の厨房に大きな人影がある。時間も時間だし、閉店の準備をしているのかもしれない。
「おっちゃん。まだええ?」
皇はカウンターの前に立って、奥の人影に声をかける。

「いらっしゃい」
皇の声に、明るい声が返ってくる。そして、奥から大きな男が出てくる。
長身の皇より、さらに縦も横も大きい。おまけにまだ寒い時季だというのに、半そでの白いシャツを着ている。シャツから見える腕の太さや胸板の厚さは、前掛けをしてなお料理人には見えない。立派な体格だ。
「まだ注文ええよ。なんにする?」
言って、太い眉の下のギョロッと大きい目を細めて笑う。とたんに、いかつい顔が人懐っこい顔になる。

「あ、シャケ弁ひとつ」
奥から出てきてカウンターの内側でニッコリ笑うまで、ずっと男を見ていた皇は、訊かれて慌ててそう言う。
「ああ。お兄ちゃん、かんにん。うち、シャケ弁やってへんね」
「え、あ、ホンマ」
言われて初めて、カウンターの後ろに貼ってあるメニューに気づく。

「日替わり弁当やったら、すぐ出来るけど。それでええか?」
「ああ」
「ほな、ちょお待っててな」
男は皇にそう言うと、短く刈りこんだ頭にバンダナを巻いて、奥の厨房へ入る。

皇はその姿を目で追って、厨房の男を見やすいように一歩右に移動する。厨房の中で、男は大きな体からは考えられなくらい手早く動いて、あっという間に弁当を詰める。
「はい、お待たせ。日替わり弁当な」
再びカウンターに出て、弁当を袋に入れる。
「500円や」
「500円、と」
皇はポケットの小銭を出して、500円分数えて男に渡す。渡す時に、わずかに男の手に指が触れる。

「おおきに。ピッタシやな。お兄ちゃん、レシートは?」
頷いた皇に、レジからレシートを打ち出して渡してくれる。その仕草は無骨だが、不調法ではない。
「今、仕事帰りか?」
「せや」
「そうか。今日も一日、お疲れさんやったな」
男はそう言うと、レジ横に置いてあるインスタントのミソ汁も袋に入れて渡す。

「あ、俺、ミソ汁は頼んでへんけど」
「ええねん。サービスや」
いたずらっぽく片目をつぶった男のほほには、片方だけえくぼが出来る。
「おおきに。また来てな」
温かい声に背中を押されて店を出る。

チラリと後ろを見れば、まだ店先で人懐っこい笑顔を見せている。
皇は男に小さく頭を下げると、バイクにまたがる。カゴからヘルメットを出して、かわりに男から渡された弁当の袋をそっと置く。
ヘルメットをかぶる。バイクにキーを差し込んで、セルを回してエンジンをかける。

アクセルを回して道に出る。
さっき、男の手とわずかに触れた指先から、体全体に温かさが広がっている。風の冷たさも感じない。ささくれだっていた心も、少しだけ温かくなっている。

皇が弁当屋に入って、弁当を受け取って店を出るまで約5分。その間に、皇は初めて会った、名前も知らない弁当屋の男に、恋をしていた。



それから皇は足しげく”ひなた弁当”に通い始める。通ううちに、男の名前は日南田遙(ひなたはるか)、歳は30代前半で自分より少し上である事、体は長身でガッシリしている皇よりさらに大きくて、およそ料理人には見えない事、いかつい顔つきをしているが、笑うと目じりにシワと片えくぼが出来て人懐っこい顔になる事が分かる。

「お、シャケ弁くん。今帰りか?」
それに変なあだ名で自分を呼ぶ。次に来た時”シャケ弁くん”と呼ばれてうっかり返事をして以来、このあだ名で呼んでいる。
少し恥ずかしいが、自分を覚えていてくれるからこそと思えば、悪い気はしない。
そして…。

「今晩は」
「今日はなんにする?」
「日替わり弁当」
「日替わりやな。ちょお待っててや」
カウンターで注文を受けた遙は、厨房に戻って手早く弁当を詰める。

「はい。お待ちどうさん」
厨房から弁当を受け取って袋に入れたのは、小柄な若い女性だ。
「ご飯大盛りにしといたさかい。ぎょうさん食べてな」
目だけクリクリと大きくて愛嬌のある顔に、明るい笑顔を浮かべて、皇に弁当を渡す。

「また春奈(はるな)は。イケメンが来るとすぐオマケして」
「ええやん。ヤキモチやかんといてや」
遙の言葉にからかうように応えて、もう一度ニッコリ。
「それより、ココはもうええから、早よあがれ。大事な体やろ」
「うん」
頷いて、自分の下腹をいとしげに撫でさする。

「ほな、お先。シャケ弁くんも、また来てな」
春奈と呼ばれた女性は明るくそう言うと、前掛けをはずして店の奥へ引っ込む。おそらく、店の2階が住居になっているのだろう。
春奈の後ろ姿を心配そうに見送った遙は、皇と目が合うと頭をかいて苦笑する。
「あいつ、やっと3ヶ月に入ったトコやねん」

皇から弁当の代金を受け取り、お釣りとレシートを渡す。
「俺、初めてのコトでなんもわからへんで。シャケ弁くんはわかるか?」
「いや」
「せやろ。ホンマ、男はこんな時、なんの役にも立たへんな」
「せやな」
そう言う遙の顔があまりにも幸せそうで、皇は釣り銭をポケットにしまうフリをしてうつむく。

「疲れてるトコ、引き止めてかんにんな」
そんな皇に、遙はニッコリ笑いかける。皇の好きな、人懐っこい笑顔だ。
「ほな気イつけて。また来てな」
温かい声でおくり出す。

弁当をバイクの前カゴにそっと置いて、ヘルメットをかぶる。セルを回して、ゆっくりバイクを発進させる。
遙の事を知れば知るほど、想いは募る。大きな体、人懐っこい笑顔、よく響く優しい声。全てが皇の好みだ。”どストライク”と言ってもいい。
どんどん引き寄せられていく気持ちを、自分でとめられない。

だが、遙には春奈がいる。
「ああ」
バイクのハンドルを握ったまま、皇は大きくため息をついていた。




  2012.09.09(日)


    
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