都市部の大きな駅でローカル線に乗り換える。電車は高いビル郡を抜けて、そのあとはずっと山間部を走っている。
・・・目的地は、海のはずやけど。
河南千弦(かなんちづる)は電車の窓枠にほおづえして、大きくため息をつく。
父親から、海辺の飲食店で夏の間バイトをしないかと言われたのが2日前。家にいるよりかはマシと承諾して、路線と降りる駅だけ聞いて、電車に乗った。

本当なら、千弦は今年の春大学を卒業して、就職するはずだった。
千弦の父親はいくつもの飲食店を営む実業家で、ひとり息子の千弦に跡を継ぐよう常々言っている。千弦もまた父親の期待に応えるべく、難関大学の経済学部に身を置き、さまざまな飲食店で厨房やホールのバイトをしてきた。

しかし、一流企業への就職も決まり、あとは卒業の単位を取得するだけとなった去年の秋から大学を休学し、実家に引きこもるようになった。
体の中に満ち満ちていた熱量が全て流れ去り、あとには空っぽの心と器である体だけが残ったような、そんな無気力な状態がずっと続いている。
誰も信用できないと、不信感のかたまりにもなっている。

父親も母親も、千弦の変化に驚き戸惑い、叱咤したり懐柔したり。ついにはセラピーまで受けさせたが、千弦の他人への不信感と無関心は拭えない。
以後、実家の自分の部屋で、半分引きこもりの生活を送っている。外出も人との会話も必要最小限。誰とも話さず誰も見ない生活が何日続いても、平気になっている。

世間体を気にする父親は、休学の理由を病気のための長期療養と説明しているようだ。
今度のバイトの話も、世間の目を気にして海辺のリゾートホテルへ療養がてら送り出そうという魂胆だろう。
・・・療養、ねえ。
千弦は口元を歪めて笑う。

自分は病気ではないのだから、療養目的で送り出すのは間違っている。だが、家にいて父親の渋いの顔や母親の哀しい顔を見るのには、うんざりしていたところだ。
飲食店のバイトといっても、海辺のリゾートホテル内にあるレストランかバーで、短い時間ホール係の真似事をするだけだろう。
ゆっくり海でも眺めて自分の将来についてじっくり考えるようにと、父親はそう考えてこのバイトの話をしたに違いない。

素直に従うのはシャクに障るが、それでも気晴らしにはなるかもしれない。バイトの内容や働く店の規模など、詳しい話はほとんど聞いていないが、飲食店でのバイトならどこでも似たりよったりのはずだ。

ポケットから携帯電話を取り出して見る。もちろん、着信はない。
・・・せやった。番号もメアドも、変えさせられたんやった。
確認する度に、胸が痛む。
もう一度、大きくため息をついたところで、急に目の端が明るく熱くなる。

海だ。山間部を走っていた電車は、いつの間にか海沿いを走っている。どこまでも広がる青く澄んだ海が、太陽の強い光を反射してキラキラと煌めいている。
あまりの眩しさに、窓の覆いを下ろしてサングラスをする。だが、サングラスをしてもなお、目の中に眩しさが残っているような強烈な輝きだ。

と、車内アナウンスが流れる。次の駅が目的の駅だ。千弦は網棚に上げていたバッグを下ろして、昇降口へと歩く。
ほどなく電車は止まり、ドアが開く。下りたのは千弦一人。上りと下りの2つしかホームがないような、田舎の小さな駅だ。千弦はサングラスをかけ直すと、バッグを持って改札口へ。もちろん自動改札ではなく、年配の駅員が直接キップを回収する。

ほんの10人も座ればいっぱいになるような待合室を数歩で抜けて、外へ出る。駅前にある道路をはさんで、数10m先はもう海だ。潮の香りが漂っている。それに痛い程の強烈な日差しだ。
駅舎の日陰に入って、千弦は父親から渡されたメモを見る。”美浦駅、16時半に迎え”。メモにはそう書いてある。

場所も時間も合っているが、リゾートホテルからの迎えらしき車はいない。いるのは年代物の軽の箱バンだけだ。
・・・遅れてるんか。
連絡をとろうにも、相手の連絡先すら聞いていない。千弦は大きくため息をつく。仕方がない。駅員に言ってタクシーを手配してもらおうと、きびすを返す。

「よお、お兄ちゃん」
後ろから声をかけられる。振り向けば、箱バンの運転席から一人の男が自分を見ている。
「せや。自分や自分」
運転席からおりて、近づいてくる。日焼けした体に白いシャツ。背丈は自分とかわらないくらい長身だ。しかし、筋肉質で鍛えこまれた体をしている。歳は自分よりいくつか上だろうか。20代後半に見える。

「宿まで連れて行ったるわ」
・・・ナンパか? 男相手に、きしょい(=気色悪い)。
「間に合ってます」
笑顔で近づいてくる男に、冷たく横を向く。
「え? せやかて自分、河南千弦くんやろ?」
「・・・あんたは?」
どうしてこの男が自分の名前を知っているのか。いぶかしく思いながら、男の顔を凝視する。

「やっぱり、そうか」
もともと人なつっこい性格なのだろうか。初対面だというのに、満面の笑みで右手を差し出す。人好きのする笑顔に、白い歯が眩しい。

「あんたは?」
そんな男相手に千弦はサングラスも取らず、右手と顔とを交互に見て、もう一度訊きかえす。
「俺は鳴海久里(なるみひさと)や。よろしゅう」
「はあ」
そこでようやく、久里と名乗った男と握手する。大きくて力強い手だ。それに、とても熱い。

驚いて顔を見れば、久里もまた千弦の顔を見ている。
「千弦は、ずいぶん色が白いんやな」
「は?」
出会ってまだ1分も経っていない。それなのにもう、名前を呼び捨てだ。

ムッとして、語尾を上げる。
「僕が色白やと、なんや差し障りでも?」
この半年以上、ほとんど家から出ていない。もともと色は白い方だったが、ますます白くなっている。だがそれを初対面の久里に言われる筋合いはない。
「いや、差し障りてコトもないけど。大丈夫かなと思て」

「せやから、なにがです? だいたい、あんた何者です?」
「え? 聞いてへんの?」
「僕、父から飲食店でバイトせえて言われて、ここに来たんですけど」
「そら、飲食店でのバイトには違いないけど」
鼻をかいて、にが笑いする。どうやらバイト内容は、千弦が思っていたものとは大きく違うようだ。

「ほな、宿に行く前に、いっぺんバイト先に行こか」
そう言うと、千弦のバッグを持って勝手に箱バンに乗せる。よく見れば箱バンの横腹には”民宿なるみ荘”と書いてある。
「早(は)よ、乗って」
運転席から促がされ、しぶしぶ助手席に座る。

久里は箱バンでしばらく走って、海岸沿いの駐車場に入る。
「よっ。お疲れサン」
「あ、鳴海さん。お疲れさんっす」
駐車場を整備している若い男に手を上げる。若い男は軽く頭を下げてあいさつをする。どうやらココでは久里は”カオ”らしい。
「コッチや」
箱バンからおりた久里は、千弦を促がして海岸へ歩く。

少し歩けば、白い砂浜が広がり穏かな波が打ち寄せる海岸へ出る。ここは海水浴場のようだ。
「はい、到着」
「え」
大股で歩く久里のあとを付いて歩くこと数分。立ち止まった久里にならって、立ち止まった千弦の目の前には、一軒の建物が建っている。
海に向かって開放的に設けてある座敷、何組もの白いプラスチックのイスとテーブル、奥には簡単な厨房もある。そして、屋根にかけてある大きな看板には”海の家なるみ”と書いてある。

「ここで? ここが?」
「せや」
確かに、海水浴客相手に飲み物や食べ物を供するので、大きなくくりでいけば飲食店で間違いない。だが、海の家だったとは。

「俺、この”海の家なるみ”の大将やねん。俺のうちは民宿やっててな。けど、海水浴シーズンだけ、ここで海の家もやってんね。・・・ま、入って」
入り口に立って顔色をなくしている千弦の肩をひとつ叩いて、久里は中に入る。仕方なく千弦も入る。
「千弦は海の家でバイトしたコト、あるか?」
首を横に振る。
「ほな、飲食店でのバイトは?」
それには頷く。

「この美浦ビーチは3日後が海開きで、海の家のオープンもその時や」
「はあ」
「今はまだ準備中やけど、オープンと同時にけっこう忙しくなんね。けど、毎年バイトに来てくれる子が、今年は都合悪くてなあ」
「そうですか」
イスに座った久里の向かい側に座る。サングラスを取って、改めて店内を見回す。久里の言う通り、まだ開店準備の途中らしく、そこかしこにダンボールや建築資材が置いてあって雑然としている。それに、人の出入りも忙しい。

「ほんで、イケメンのホール経験者を探しててんけど」
久里の語尾は弱い。
「イケメンは間違いないけど、ちょっと心配やなあ」
確かに千弦は長身で、モデルのようにバランスのとれた長い手足をしている。それに、くっきり二重の目に通った鼻筋、凛と引き締まった口元と、顔立ちも整っている。容姿を誉められるのには慣れている。
そのうえ、飲食店でのバイト経験も豊富だ。まったくの素人ではない。

「海の家は7月8月の短期決戦や。ほんで、即戦力になる子を探しててん」
「僕、飲食店のホール係は、何軒も経験ありますけど。なんやご不満でも?」
久里の話から、自分が考えていたバイトとは違う事は分かるが、海の家のホール係なら、今まで経験した飲食店でのバイトと大きな違いはないだろう。久里の言う”即戦力”になる自信はある。
懐疑的な表情の久里に、強めの口調で訊く。

「ん~。ま、せやな」
だが久里はそれには答えずに、大きく伸びをすると立ち上がる。
「せっかく来たんや。今夜は地獲れの旨い刺し身、食わしたるわ」
千弦の背中を軽く叩いて、立つように促がす。まったく、ひとつ所に落ち着いていられない、せっかちな男だ。

「ちょ、今度はどこ行くんです?」
不機嫌な声で訊くが、
「ああ、うちに行くんや。民宿なるみ荘。そこに千弦が寝泊りする部屋、用意したさかい。今日はゆっくり休んでな」
普通の口調で答えて、大股に歩いていく。

・・・刺し身やて。僕、生魚食べれへんのに。
その大きな背中に付いて行きながら、千弦は大きなため息をついた。




  2013.06.06(木)


    
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