虎は、御堂要(みどうかなめ)は細い指先でページを繰る、虎は本来1頭で生活する。
群れを成さず、繁殖期以外は単独で生活している。広大な縄張りを持ち、その中を頻繁に徘徊する。主に哺乳類を捕食するが、爬虫類、昆虫、果実、種子も食べる。ネコ科の動物にしては泳ぎも得意で、魚を捕まえて食べる事もある。

さらにページを繰る。
獲物を発見すると、茂みなどに身を隠して至近距離まで忍び寄る。跳躍し太い前脚で獲物を倒して、噛みついて仕留める。小型の獲物に対しては咽頭部を噛み続けて窒息させ、大型の獲物は頸部に噛みついて仕留める。

指を立てて、文字をなぞる。
子育ては雌のみが行う。2年で幼獣は母親から独立し、自分の縄張りを持って生活する。雄は常に単独行動をする、孤独な生き物だ。
「・・・孤独、か」
ひとりごちる。

本を持った手をおろし、中空を眺める。ずいぶん前に忘れたはずの顔が一瞬、うかんですぐに消える。にがくて切ない想いが、胸に去来する。
目を閉じて、軽く頭を振る。ひとつため息をついて、自嘲気味に笑う。

不意に、目の前の電話が鳴る。
「はい」
要はいつもの表情のない顔に戻ると、受話器を上げて落ち着いた声で応える。
「御堂先生。理事がお呼びです」
「わかりました」
受話器を置いて、ため息をつく。机の灯りを消して本を閉じ、立ち上がって本棚に戻す。

広い部屋を音もなく横切って、鏡の前へ。
鏡に映るのは漆黒の髪に切れ長の黒い瞳、通った鼻筋、紅い唇、細いアゴ、透けるように白い肌と、女性と見まごうばかりの顔だ。いつもと変わらない。
およそ年齢による衰えとは無縁の、美しい顔立ちをしている。なのに、その瞳は深く沈んだ色をしている。これも、いつもの事だ。
要は指先で髪を梳くと、エリ元を整えて部屋から出る。

天井が高くうす暗い廊下を滑るように歩いて行って、ひとつのドアの前に立つ。鈍い光沢を放つドアをノックすれば、中から男の声で返事がある。
「御堂です」
内側からドアが開き、エリの詰まった黒尽くめの服を着た男が顔を出す。
「どうぞ」
無表情な男に促されて、中へ。

要のいた部屋よりもさらに広いこの部屋は、全体的に重い色調でまとめられている。初めて入る者は、重厚でどこか神秘的な雰囲気に気おされてしまうだろう。そんなあざとい考えで設計された部屋だ。
手前には一枚板の机と本皮張りのソファの応接セットが、奥には大きな机が配してある。

「虎落(もがり)理事。御堂先生がお見えです」
男の声に、机の向こうでパソコンを操作していた別の男が顔を上げる。この教団の理事、虎落凌(もがりりょう)だ。
「ああ、御堂先生」
メガネをかけなおして、穏やかに微笑む。虎落は見た目は30代半ばだが、本当の年齢は分らない。太い眉に強い光を宿す瞳、ガッシリとしたアゴと、男らしい整った顔立ちをしている。

「お忙しいところ、お呼びたてしてすみません」
声も落ち着いている。
「いえ」
「どうぞ、おかけください」
促され、ソファに座る。虎落も立ってきて、向かい側に座る。長身の虎落の体を受け止めて、革張りのソファは小さく鳴く。

「コーヒー、いかがです?」
「今は結構です」
「”祈りの水”で淹れたコーヒーですよ?」
「結構です」

この部屋にはコーヒーを飲みに来たわけではない。用件だけ聞けばそれで済むはずなのに、虎落はなかなか切り出さない。要は焦れて、穏やかな笑顔を小さく睨む。
「そうですか」
虎落は悪びれずにそう言って、長い足を組む。そして、ドア近くに侍る黒尽くめの男に目で退出を促す。男が一礼してドアの向こうに消えたのを確かめて、ようやく虎落は口を開く。

「実は、次の看護師が決まりましたさかい、お伝えしとこうと思いまして」
「はい」
「明日、明後日には着く手筈になってます。細かいコトはお任せしますさかい、よろしくお願いします」
「わかりました」

用件はそれだけのようだ。わざわざ理事室まで呼んで黒尽くめの男を退出させなくても、電話やメールで済むほどの用件だ。
ずいぶん仰々しい。他意があるのかと、探るように虎落の目を見るが、それ以上何も言わずに立ち上がる。

「必要な書類はメールで送っておきますさかい、見ておいてください」
「はい」
ないなら別にかまわない。要も立って、ドアへと歩く。だが、虎落は自分の机に戻らずに、要のあとを付いてドアのところまで行く。
「ほな、よろしく」
「はい。失礼します」
ドアノブに手をかける。が、虎落はドアに手を当てて、開かせまいとする。

すぐ傍に立つ虎落の顔を見上げる。
「・・・そろそろ、満月やな」
ああ、そういう事かと、要は思う。が、顔には一切表さない。
そんな事、言われなくても分っている。夜空の月を見なくても、月齢が満ちているのを体で感じている。
「唇が、乾いてんのと違うか?」
低い声で、強い光を宿す目を細める。ドアに当てていた手を、要のほほへと伸ばす。

要は顔をそらして、
「そうですね」
固い声で答える。
「ほな、また後ほど」
要の態度に小さく笑い、ようやく虎落はドアを開ける。

開いたドアから廊下に出て、少しの間その場にたたずむ。
・・・しゃあない。
それからため息をついて、要は元いた部屋へと戻って行った。



要がいるのは”睨光(げいこう)教団”という宗教団体の本部だ。教団では祈りを最も重要な行為と位置づけている。”祈りの水”と呼ばれる水を飲み祈る事で、精神の統一を図り、自己治癒力や集中力を高めるのだそうだ。
心療内科の専門医である要は、その経歴を教団理事である虎落に買われて、教団の中でカウンセリングを行っている。ある種の医療行為をする事もある。

教団本部のあるこの建物の中に私室を与えられ、食事や身の回りの世話をする人もいる、優遇された生活を送っている。
仕事と安定した生活を約束されたこの教団にいる理由は、他にもある。

その夜、要はひとつのドアの前に立つ。細い指で髪を梳いてノックしようとしたところで、中からドアが開けられる。
「こんばんは」
ドアを開けたのは、理事の虎落だ。
「どうぞ」
大きく開けられたドアから、部屋の中へ。

天井が高く広い部屋には静かな音楽が流れていて、やわらかな色合いの花や観葉植物が、そこかしこに飾られている。ここは虎落の私室になる。昼間、虎落のいた理事室は重厚な雰囲気だったが、私室は暖色系にまとめられていて心安らぐ雰囲気だ。まったく違う。

「なんや飲むか?」
虎落の様子もまた、昼間とは違う。メガネをかけ髪を固めて穏やかな口調だった虎落は、シャワーを使ったあとなのか、前髪は濡れメガネもはずして、リラックスした格好をしている。
「いや、結構や」
固く答えて、部屋の奥にある窓の前まで歩く。

「シャワー、使(つこ)てきたんか?」
要の髪もまた濡れているのに気づいて、虎落はそう訊く。
「ああ」
「用意のええコトや。けど、」
大きく息を吸って、
「この時期、おまえの体から立ち上る香気は隠せへんな。ドアの外におっても丸わかりや」

「そうか」
素っ気なく言って、天井まで届くような大きな窓に引かれたうすいカーテンを両手で大きく開く。見上げた夜空には、雲に隠れて丸い月がうかんでいる。
月の在り様に、体の芯が熱くなっていく。要はひとつ体を震わせて、鼻で息を吸って口から吐く。
「御堂」
低く呼ばれる。肩越しに呼ばれた方を見れば、部屋の照明を落とした虎落がソファに座っている。

虎落の視線を十分に意識しながら、要は羽織っていたうすいガウンを肩から落とし下着も取る。弱い月明かりの下、引き締まった肢体が白く輝く。
「コッチ、向いて」
虎落の声に、興奮の色が混じっている。
「這(ほ)うて、来て」

「ああ」
要もまた、興奮している。仕方がない。満月が近いのだ。
うすく開いた口から浅い呼吸を繰り返しながら、出来るだけゆっくりと向きなおる。ヒザをつき手をついて、虎落の座るソファまで。

よどみなく四肢は動く。立って足で歩くよりも楽なくらいだ。要はノドの奥で低く唸って、虎落の前に腰をおろす。
「ええ子や」
イスから立った虎落を、普段よりも大きく感じる。それは自分の視線がいつもより低いところにあるからだと、要自身も気づいている。

「おまえは、ホンマに美しい」
大きな手がおりてきて、アゴを撫でる。官能的なその感触に、自然とノドが反る。
「美しくて、強くて、神秘的で」
言いながら、アゴを撫でていた手で唇に触れる。

口を開けて、指を甘噛みする。
「くっ」
とたんに虎落は自分の手を引く。ほんの少し、要の歯に触れただけなのに、虎落の指には血が滲んでいる。
要は舌先で口の端をぬぐう。わずかに残った虎落の血の味がして、たまらない気持ちになる。

「欲しいんか、もっと?」
訊かれる。欲しいに決まっている。拒まれても、力づくで奪う。
「ほな、僕も愉しませてんか」
虎落の言葉の最後は、唸り声に変わる。

「わかった」
答えた要の言葉もまた、唸り声に変わっていた。




  2013.12.07(土)


    
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